全ては転移の関係性
Author筑井 由紀子
- 公開日 2023年6月19日 12時51分
今、活動しているNPO団体の助成金の採択があり、今後の動きについてのやり取りが始まった。
恐ろしく厳しいというか、リジットで全てが書面に則ることと、なぜかわたしたちにはわからない『暗黙の了解』的なルールがあるような世界だ。
「言われたことしかしてはいけない。だけどわたしの思うような返答ができないなら、この話はなくなります。」
という、子どもの時いつも母との関係性の「1いったら、10を知って行動せよ」という感覚に入っていく。
そんな中のやり取りで申請内容の修正をかけたことで矢に刺さるようなエネルギーのメールが助成団体から戻ってきた。
追い討ちをかけて、事務局のトップからの返答。
瞬間的に異常なほどの焦燥感と何か行動しなければ生きていてはならないという、とても馴染みのある感覚に入っていった。
ちょっと、待って。今、何してる?
そう。それはスマホの中のことでわたしは「やっぱり、まだ寒くねるよね。」と灯油を買いにきたガソリンスタンドにいた。
その瞬間、全てを放り投げて、家に帰って、詳しい状況を把握するためにパソコンを開けなければ!と動き出そうとする。
いや、まて。とりあえず、どうしたい?
そう。元々、わたしは灯油を買ってから、近くにあるカフェでゆっくりするつもりだった。
コーヒー飲もう。
身体の激しい動悸と焦りと恐怖を感じながらもカフェに入り、コーヒーを飲み。もう一度、スマホの中のやり取りをみて、呼吸をする。
これって、よくある感覚だよね。
これって、幼少期のどの場面?
あー。助成団体を父に転移し事務局トップを母を転移している感覚。
そう。全てが壊れてしまう。
訪問看護事業所が閉鎖になったとき
訪問看護事業所をクビなった時
ここからの行動が結果となったことと気づいた。
一息ついて、家に戻る車の中、「この助成団体ってどんな組織なのよ」信号待ちで、アンチサーチを検索してみる。
どの検索サイトも、Twitterも一切アンチ記事が存在しない。
あ、この助成団体の後ろの組織は国会議員。
その瞬間に全てを牛耳られている、頭の中まで統制されている恐怖の感覚から、身体の震えと足が凍るような冷たさを感じた。
父親だ。
一度も、身体的・精神的な怒りを向けられたことがない記憶しかない父親のことを、弟が「俺は親父がずっと怖かった。俺は勉強さえしてればいいんだと思っていた。」といってたことがわかった。
父の兄たちは「こうちゃん(父の名前)は怖いから何も言えない」とよく、言っていた。
この恐怖を麻痺させていたのだ。
自宅につき、パソコンを開けて、呼吸をしながら、助成団体からのながーいメールを読むと、相手が触って欲しくないところをわたしが修正かけたことでおかしくなっていることに冷静に気付いた。
このやり取りはわたしが直接ではなく事務局の人が入ってやってくれてたので、すぐにどうにもできるわけではない。
いつもなら、ここで頭の作戦に入り、取り繕いの方法をずっと頭の中でやり続けるところにはいるが、これは違う。と排除した。
今、わたしはどうしたい?
足先の凍るような冷たが痛みになっていることに気づき、
「足浴したい」
足湯用のバケツに適温よりやや高い温度の湯を用意し、足し湯の熱湯を準備して足を湯につける。
いつもこうやって、患者さんに足浴ケアをしていたけど、一度も自分にはしたことがなかった。
子どもの時、誰もわたしを温めて守ってくれる人がいなかったんだ。
その時のなかったサポートに痛みを感じながらただ、身体を温めていた。
でも、今はこのことを共有する仲間がいて、矢面にたたなくてもいいようにサポートしてくれる人がいる。この現実を受け入れることで、暖かさが身体中に巡っていくことを感じていた。
すると、「申請の再提出を承認しました」という助成団体からのメール。
どういうこと?全く意味がわからない。
事務局に問い合わせいただき、助成団体側でもやり取りに混乱があったようで、それに対する謝罪と最終的にこちらがやらないといけない、一文削除の依頼がきて、そこを修正し、助成団体側の返事待ちとなった。
一つ、一つ、起こってくることにどこまで自分の内側に入って「どうしたい?」から行動できるのか。
ここまでのことをできたのも、「自分のため」の時間と空間が確実に確保された今だから。
やっぱり、この世界は完璧なんです。
今、自分が置かれているところは必ずこの先につながることでしかないということ。
わからないことしかこの世界には存在しない。
そこをどれだけ持ちこたえることができるのか。
どこまでいっても自分でしかない。