自分を癒す最後のピースは「罪悪感」1/2

 


久しぶりの投稿です。


「罪悪感」について、2回に渡って書いていきたいと思います。


 


 §「怒り」と「悲しみ」が、本当の感情を蓋している


本当の感情の上には「怒り」と「悲しみ」があり


本当の感情の蓋になっています。


上にあるのが怒りであることも


悲しみが上にあることもありますが、


そのどちらをも感じないと、蓋は開きません。


「これは蓋である」という自覚を持ちつつ


身体を通して両方の感情をしっかり感じ切ると


蓋が開くのです。


そしてその下には、またたくさんの感情があります。


喜びや幸せ、楽しみといった感情も


無力感や恐怖感、屈辱、恥といった感情も


この中に混在しています。


そして、これらのうちどれか一つでも


「感じたくない」と思うと、蓋は再び閉じてしまいます!


 


感情のワークをされたことがある方は


お分かりになるかと思いますが、


感情のワークの後って、スッキリしますよね。


蓋になっている「怒り」や「悲しみ」、


上部にある感情を感じただけでも


スッキリ感やほっとする感じを味わえますが、


それだけでは問題の解決にならないのです。


 


 


§ すべての下に罪悪感がある


実は、恥や無力感、屈辱などの下には


「罪悪感」が隠れています。


下にあるということはつまり、


最初にこの「罪悪感」があるということです。


罪悪感ゆえに、「私はダメだ」


「私は良くない」といったような誤解を持ってしまうのです。


 


では、この罪悪感とは、何に対する罪悪感でしょうか?


それは、



「私のエッセンスは良くないものである」



という罪悪感です。


けれども、この「本当の自分自身は良くないものだ」という


それこそが【誤解】なのです。


なぜそんな誤解を持ってしまうのか、


私の例をお話しますね。




自分は愛されて生まれた子どもだと思っていたし


両親が私のことを愛しているとわかっていたけれど


それでも私は、大好きなパパとママの離婚を


止めることはできなかった。


つまり、私のエッセンスは役に立たなかった。


さらに、お父さんには恋人がいた。


そのことで、私の存在は邪魔で


いない方がいいんだ と思ってしまった。


これが


「自分のエッセンスは役に立たないダメなもの」


という誤解になり、罪悪感となった。



 


このようにして


原初の傷で生まれた罪悪感の上に、


その後の人生を通じて


「私がいても役に立たない」「私はダメなんだ」


という体験が繰り返し重なり、層が厚くなってゆきます。


 


感情のワークでは、多くの場合


最初に「怒り」や「悲しみ」に取り組みますが


その“蓋”を開け、その下の感情、


さらにその下の感情へとワークを続けていっても


いつになっても終わった気がしないと


嫌気が差したことのある方も多いかもしれませんが


それは、一番下の根っこにある


この罪悪感を感じていないから。


もっと言うと、それがあることを知らないからです。


 


罪悪感を感じる出来事が起こってくると、


私たちは、それを感じるのが怖くて抑圧します。


すると、その上にある感情が活性化されます。


そして「この感情を感じさせたあなたが悪い」


「出来事が悪い」と、外側のせいにします。


だから、一向に良くならないのです。


 



 


 


§ 罪悪感をしっかりと感じてみる


一度、罪悪感をしっかりと全身で感じてみると、


それがおそろしく気持ち悪くて


ろくでもないものであることがわかります。


「え、私こんなところにいたの...?(ゾゾっっ)」


「これがいいと思ってたの??」


「これをずっと持ち続けてたの???」


と、衝撃を受けることでしょう。


そして、一度このことを身体で理解すると、


次に罪悪感を感じそうになった時


「もうあれはいいや...」と心から思えるようになります。


そうなると、罪悪感とは違う感情に移行することが


簡単にできるようになります。


言い換えれば、


今この瞬間感じることのできる最高の感情は何だろうか?


という方を選んでゆくことができるようになるのです。


 


 


§ 罪悪感を感じる関係性


一番下の罪悪感をしっかり感じていなければ


罪悪感を感じる相手と出会い、


罪悪感を感じる関係性に入ります。


 


どんな人間関係の出会いにも学びがあり


どんな関係性の中にでも


自分を見てゆくヒントがあると


私は思っています。ただ、


罪悪感を感じる関係性は作らないよう


それだけは気をつけています。


たとえば不倫。


「私のものにはならない」


「いつも帰って行ってしまう」


「奥さんと子どもがいる人を好きになった私がダメ」


「一緒にいたいと思うことは奥さんや子どもに申し訳ない」


などと、罪悪感に浸ることになります。


そういう関係性は、幸せにはなりません。


だから、不倫するくらいだったら


お互いフリーになって結婚するとか、


「自分に罪悪感を与えない」という意味で


人間関係におけるルールを、私は自分に課しています。


 


これはもちろん、女性同士の関係性でも


仕事上の関係性でも同じことです。


自分が罪悪感を感じるような関係性は持ちたくありません。


常に「私、この人に何か悪いことをしたかな...」などと


思ってしまうような関係性は、


お互いにとってよろしくないと思いませんか。


どちらか片方が罪悪感を感じていれば、


相手も同じように感じるようになっていきます。


だから、私にとって


「罪悪感を感じないように自分が動いていく」ことは、


「自分に愛を選ぶ」こととイコールなのです。




 


 


§ 罪悪感と誤解


「こんなネガティブな感情を感じてしまった私は良くない」


「感情的反応に入ってしまった私はダメだ」


「ダメだとわかっているのにまたやってしまった」


「こんなふうに言ってしまった私はダメダメだ」


たとえばこんなふうに罪悪感に陥る時、


それは、そこにはまだ自分がわかっていないこと、


誤解していることがあるというしるしです。


 


「自分が良くない」と思っている時、


あなたは自分自身に対して誤解をしているのです。


他にも、世の中の物事に対して誤解をしていたり


自分の感情に対して誤解している場合もあるでしょう。


 


そもそも、感情や出来事が


良いとか悪いとか考えている時点で


すでに誤解であることに気づいてください。


誤解の下で罪悪感にはまり込む罠が、


自分の手で、あなたの中に仕掛けられているのです。


私たちは、罪悪感から自由になる必要があります。


 


 


§ 罪悪感とエッセンス


罪悪感の下には、エッセンスがあります。


私たちは本来、自分のエッセンスを


外の世界にギフトとして表現し


世界にプレゼントしていかなければなりません。


でも、その自分の一番美しいギフトが


ダメなものだと誤解している限り、


自分から何かをやり始めることはないでしょう。


新しい仕事を始めたり、新しい何かをやろうとした時、


「やっぱり私はダメかも...」


というスポットに深い部分で入っている限り、


何事もうまくいきません。


ここをリリースしない限り、一生うまくいかないのです。


 


誰が悪いわけでも何が悪いわけでもなく、


自分自身が自分に対して罪悪感を持っているだけです。


だからうまくいかない。


それを人のせい・何かのせいにしている限りは


何も解決しないのです。


 


 


(2/2に続きます)

山本 美穂子

貴方の本来の輝きを取り戻すお手伝いをしています


  • 対応可能な悩み心の病気の悩み、恋愛・結婚の悩み、育児の悩み、家族の悩み、友人関係の悩み、職場の人間関係の悩み
  • 地域愛媛県 松山市

幼い頃から「心の癒し」に興味を持ち、子ども時代のトラウマ体験がのちの人生に大きな影響を及ぼすことを自身の体験から身をもって学ぶ。数多くの癒しのメソッドを学んだ後、2000年、米国マイアミ州のヒーリング単科大学BBSHに入学し校長のバーバラ・ブレナン女史に師事、ヒーリング科学や基礎を学ぶ。 BBSH卒業後日本でプロフェッショナルヒーラーとして開…